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伝わる自分史の作り方(11) 『災難のこと』

災難のことイメージ画像

災難という文字を広辞苑で調べると『思いがけず起る不幸な事』とあります。災難の例としては甚大な被害をもたらした『阪神淡路大震災』や『東日本大震災』、未だ収束しない(これを書いたのは2021年3月22日です)『コロナ禍』や、泥棒にあった、火事にあった、車にはねられた、借金を踏み倒されたなど、様々なケースが考えられるでしょう。

 

災難のとらえ方

広辞苑では「思いがけず起る不幸な事」と定義されていますが、とらえ方によってはあながち不幸なこととは言えないのが災難なのではないでしょうか。「塞翁(さいおうが)が馬」という故事でも伝えられているように、一見不幸に見える事柄でも実はそうではなかった、ということが、人生いくらでも起こります。

 

私の父親の例で言うと、ある日、突然の腹痛に襲われて緊急入院。急性虫垂炎の手術を行いました。これだけだったら「災難」なのでしょうが、その手術の時にたまたま大腸癌が見つかって、この時の手術の時に取り除くことができました。癌はこの時すでに相当進行していたので、急性虫垂炎にならなかったらもっと発見が遅れ、手遅れになっていたと思います。

 

災難はそのことだけを見ると災難以外の何者でもありませんが、ある程度のスパンを持って、長い目で見てみると、「あれ?もしかして結果的によかったのかな?」というように、とらえ方を変えることができます。自分史においては、この手のエピソードがあると、ドラマチックに盛り上がりますし、伝わる自分史という観点から見ても、読み手を飽きさせないのでどんどん書いてほしい内容です。もっとも自分史は小説ではありませんので、無理やりそういうエピソードを入れる必要はまったくありません。

 

自分にとって未消化のことは・・・

災難の中には思い出したくもない悲惨すぎる出来事もあると思います。発生から10年が経過した『東日本大震災』などはまさにそうです。私が住む茨城県日立市では震度6強の地震があり、それなりに被害もあり、多くのことを考えさせられ、人生を変えた出来事でした。それでも多くの大切な人を亡くし、家なども流されてしまった東北地方の方々に比べれば、まだまだ軽い被害だったと言うことができます。自分史の中に『東日本大震災』のことを盛り込もうとすると、耐えがたいほどの気持ちになってしまうという方が今でも大勢いらっしゃることでしょう。傷口がある程度癒えるのを待ってから(それまでの時間は個人差がかなりあると思います)自分史を作り始めた方がいいかもしれません。『東日本大震災』に限らず、配偶者からのDVや、不幸な事故や火事、信頼していた人からの裏切りなど、傷口が癒えるまではそっとしておいた方が良いものもありますので、無理に思い出さそうとせずに、時を待つという選択肢をとることも大切なことです。

 

コロナ禍の今、自分史を羅針盤に

皆さんにとって『コロナ禍』はどのような位置づけでしょうか。私は編集プロダクションを経営していますが、緊急事態宣言による自粛の影響で売上が激減し、大変な思いをしました。そしてそこから脱却するために様々な策を講じている途上です。1日も早く『コロナ禍』が収束することを願っています。ですので、私の自分史の中に『コロナ禍』をからめようとするには、まだまだ時期尚早です。収束して、ある程度の時間が経って、『コロナ禍』とは私の人生にとって何であったのかを理解できないうちは、私の自分史は完結しないと思っています。

 

とは言っても、自分史作りを『コロナ禍』の収束まで待つ必要はありません。それまでの人生を振り返るには支障ないと思いますし、おうち時間が増えた今、人によってはもしかしたら自分史作りには最適な時なのかもしれません。人生を振り返ることによって自分史は、過去のことばかりではなく、これからの生き方を見せてくれるという羅針盤のような役割を持つことがあります。そういう意味でも「今が自分史を作り始める時!」という方が大勢いらっしゃるような予感がします。

 

 

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